幸日記

私の紹介を少し・・・

[上下段]

 

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自営業である会社を退職

平成30年10月20日をもって、16年勤めた会社を退職することとなり、さて、これから何をしようかと不安でいっぱいです

家のローン、車のローン、特に車は9月に買い換えを決めてしまい、後戻り出来なくなってしまっていたため、色々とかなり厳しい状況になりました

しかし、私は働かないという選択はなく、これまで何をしたかっただろう・・・と考えました

少年の頃の夢

パイロット、野球選手、船長、料理人、きこり・・・見るものなんでもやりたい、なりたい少年でした

実生活はどうだった?

普通に小学校~高校を卒業して就職です

しかし、小学校低学年のときからボーイスカウトとして奉仕活動を行ってきました
当時の隊長から、「なにやってるの?と聞かれた時、「ボーイスカウトをやっています」と答えてはいけない、「スカウトとして奉仕活動、野営活動をしています」と答えなさい」と言われていたのをこのブログを書いている時に思い出しました

そしてスカウトとして高校卒業後も活動をしながら、高校卒業後は航空自衛隊へ入隊しました
スカウトとして活動中は縦社会です
もちろん隊長が一番偉いのです

自衛隊もそう、絶対的階級社会です

その航空自衛隊で高射操作員(パトリオットミサイル操作員)として9年ほど勤めました
その間、階級社会に揉まれ、国の規則、自衛隊6法に則った完全四角四面な社会を経験しました

9年ほど勤めた時、かねてから音楽に携わる仕事をしたかった私は当時の小隊長に退官を申し出ました
1年以上待ったをかけられましたが、粘りに粘ってようやく退官の許可が下りました
※自衛官は退官時に隊長にこのように申告します
「○○(階級)、○○○○(名前)は平成○年○月○日付けをもって、退官を命ぜられました」
退官も命令なのです

そして、自衛隊の正門を出て行きました
そのとき、ずっと懇意にして下さっていた警備職の警備班長を筆頭に、そのときに勤務していた警備職の皆様が「頭(かしら)~中(なか)!!」と敬礼して下さったのは今でも忘れません

涙が止まりませんでした

その後、そのまま実家には帰らず、車に積んだ少しの荷物(最低限の荷物だけで、あとは実家に送っていました)を持って東京へ行きました

[中段]

眠らない街「東京」

東京は本当に眠らない街です
夜もピカピカしていました
まずは歌舞伎町あたりを車で徘徊した後、少し人のいない所で車を止めて朝まで仮眠し、お目当ての音楽系企業へ面接に行きました

結果は落ちました
理由は、採用は大卒以上しか採用していないから
しかし、人事の方にどうしてもここで働きたいと伝えると、「派遣なら高卒でもいけるからうちに入ってる派遣会社を紹介するよ」と!!!
派遣会社に登録する時、住まいを記入するんですが、人事の方が、底も心配して下さり、住所は会社の事務所に仮眠室があるからそこを書けばいいと・・・

それから3ヶ月、無我夢中で働きました
朝5時には出社して、掃除、出勤者へのお茶出し、郵便物の仕分けと届け、昼食弁当の仕分け、各階への配達、スタジオや使用した部屋の掃除、ビル前の掃除など・・・

働き始めて3ヶ月後、人事担当の方から声をかけられました
「まったく関係ない仕事だけど、別部門で楽器作成もやってて、そこで使う塗料を作っている工場があるんだけど、どうしても人手不足で・・・塗料作りの方に回ってくれないか?」といわれました
これまではほんの少しでも作詞家、作曲家、アレンジマン、楽器、音楽、エンタメに関わっていられましたが、普通に工場員です
しかし、ここで人事担当の方から思いがけない言葉が・・・
「これから人事考査がある、その後で人事会議だ、工場で今までのように一生懸命やっていれば、俺が正社員として推薦する、俺が推薦すればまず間違いなく通る」
なぜか、一派遣社員の私の事をとてもよく面倒を見てくれました
金がない時は小遣いをくれ、腹が減ると飯を食いに連れて行ってくれ・・・
お世話になりっぱなしです

3日間考えさせて下さいと返事をし、3日後に一緒に食事に行った時に「言われたとおりにします」と言いました
その後、仕事場は愛知県小牧市にかわり、ここで自衛隊退官後、初めて実家に戻りました

3交代での勤務をこなしながら半年ほど経過した頃、母より「介護の仕事を始めようと思うんだけど・・・」といわれました
介護は私にとっては縁遠く、何を言ってるのか?と思いました
しかし、母は本気です
「途中から入るくらいなら最初から一緒にやろう」と言われました

どうしよう・・・と考えていると、人事担当の方から連絡がありました
月に2回ほど連絡を取り合っていたのですが、今回もいつもの連絡かと思っていたら・・・
「2週間後に人事会議がある、工場長にお前の勤務査定をしてもらったんだけど、改善提案でかなり工場内の効率が上がったって正社員よりも評価が良かったぞ、これで俺も安心して正社員として押せるし、正社員になったらとりあえずは本社勤務になるぞ」と言われました

この時、母から介護事業所をやろうと打診されていることを言い出せませんでした

おそらく、人事上司への返事は元気がなかったんでしょう・・・

1週間、考えに考えて、自営業になる介護事業所を立ち上げるべく、退職を決めたことを人事上司へ伝えました
「いつでも帰ってこい、俺がいるうちは面倒見てやるからな」
と涙ながらに言われ、共に泣いたことを今でも忘れません

平成15年9月に退社し、そのまま介護事業所の立ち上げに奔走します

初めての介護の勉強

収益を得るための仕組み、介護とはなんぞや?
すべてが一から勉強です
県庁、市役所へ何度も脚を運び、事業所開設の為の申請書類や介護保険収入を得る為の勉強など1ヶ月で事業所運営の仕組みをすべてたたき込みました

そして平成15年10月1日に開所しました
認知症対応型共同生活介護(グループホーム)です

その後はNPO法人の立ち上げ、グループホーム、小規模多機能型居宅介護事業所の立ち上げと運営に関わり、平成24年には別場所でグループホーム、小規模多機能型居宅介護事業所の立ち上げと運営に関わってここまできました

突然の退職

家族経営、自営で約16年勤めてきましたが、突然の退職
理由は話せませんが、自分の意思での退職ではありません

しかし、退職を決めた以上、後ろを振り向かず、前を向いていかなければなりません

所詮は制度内のことしか出来ない

「幸」を立ち上げるに至った経緯を少しお話しします

介護保険事業所でずっと仕事をしてきた私は、制度内でしかできないことにずっと窮屈を感じていました
決められた時間、決められた内容など・・・
「ついでにこれも・・・」が出来ないことが多く、これを何とか出来るようにしたいと考えました
そこで思いついたのが高齢者介護に特化した便利屋「幸」です
自分の出来る範囲内で色んな提案ができたり、自分で思いつかないようなご本人様、ご家族様からの依頼のアイデアなど

早速立ち上げの準備にかかります
立ち上げ始めたのが8月20日
ここから「幸」が始まりました

介護保険外サービス
自治会作業
地域作業
自宅の片付け
企業内の作業

などなど、岐阜県関市の幸にご依頼下さい!!!
090-3380-7923

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